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ブログ「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。気になるニュースや雑感・着想のメモ等(エントリーへのリンク付きTBかエキサイトブログのみTB可です。)
by zarathustra1883
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メインブログのエントリーへの補足

メインブログのエントリーへの補足。

国民純負担率を持ち出して、それを主たる根拠として「日本は税が重い」と言っている財政学者や経済学者はいるのだろうか?

最近の日本での経済学を巡る論争についての本を去年読んだが、その際、その本の中で触れられている経済学者のほとんどについて、私は読んだことがあった。その意味では、一応、一般向けの本については、それなりに目を通している方だと思っている。(もちろん、安倍晋三の登場によって経済学や財政学からは少し遠ざかったから、まだまだ勉強不足であることは承知しているが。)

疑わしいのは、経済学や財政学の専門家ではなく、どこかのジャーナリストやそれに近いような連中が、持ち出しているのではないだろうか?ということだ。それが社会的な問題に関心の高い一般庶民にまで伝染しているとしたら、それは由々しきことである。

※ ちょっと探してみたら、竹崎孜 『スウェーデンの税金は本当に高いのか』という本を見つけた。専門分野は今一歩はっきりしないが、比較政治学(制度論)みたいなところか。今年中には読んでみよう。

(①「スウェーデンの税金が社会保障給付との差し引きで見れば安い」ということと、②「日本の税金が社会保障給付との差し引きで見れば高い」ということは別のことだし、さらに、そのことと③「日本の税金が高い」ということは全然別のことだから――今回の議論で私が言っていることは「②までしか言えないのに③まで言ってるのがおかしい」ということである――今回の議論とは直接関係はないだろうけど。)



★国民負担率はダマシ数字だと言っている人がいたが、その人は国民純負担率は「本当の負担率」だと言っていた。そして、それをほぼ唯一の根拠として、日本は重税国家だと結論付けた。(ちなみに、「唯一」といえる根拠は、その人が挙げた理由のうち、この指標以外の理由では「日本は重税国家」と結論付けることができないからである。)

しかし、それは財務省と全く同じダマシをやっているということに気づかないのだろうか?たった一つの指標で財政や税負担の全体像をしっかり把握などできるのだろうか?無理ではないか?だからこそ、財務省は彼らにとって都合の良い「国民負担率」を使うのだろう。それを嫌悪するあまり、「国民負担率」の意義を限りなくゼロに近く過少評価しながら、それよりもより「ごった煮」的な指標である「国民純負担率」こそ「本当の負担率」と持ち上げるというのは、明らかにおかしいだろう。

普通に考えれば誰にでもわかるはずなのだが、都合のいい数字が出てくると、それを捨てたくないから、どうしても正当化してしまうのだろう。その気持ちはわからんでもないのだが、それを固辞されるのは、ちょっと痛々しい。


★もう一つ不思議なのは、その人の問題意識は、どちらかというと個々の家計の生活の苦しさの理由を説明することにあったと思うのだが、個々の家計の状況を説明するのに、国民負担率や国民純負担率のようなマクロの指標だけを使って説明するということ自体が、相当怪しげなことだということに何故気づかないのだろう?

それはGDPが増えているから生活が楽になっている、というのと同じくらいの飛躍があることなのだが。もちろん、関連性はあるが、ミクロな経済主体の状態についての十分な説明にはならないし、なりえないはずである。分析単位が違う。


★今回、私が議論を吹っかけたのだが、その動機の一つとして、彼らの議論が彼らの主観的な意図に反して破壊的なものであるということを確認することにもあった。そのために4番目の論点として展望があるのかどうかを聞いてみた。

先方が律儀にそれに答えてくれたのはありがたかった。一字一句違わないくらい、私の予想を完全なまでに裏書するものだったので、なおさらだ。つまり、あのような論では、「無駄をなくする」――無駄遣いとは「収奪されている」という言説が言おうとしている類のものも含む広義のものである――ということが第一に来て、それさえなくなればあとは何とかうまくいく、と、先のことは考えていないと予想していたのだが、そのとおりだった。実際、論理的にこれ以外の結論に行き着くのは困難だ。それは全く展望がないということを意味する。不満を官僚にぶつけるだけだ。そして、官僚に不満をぶつければぶつけるほど、不満の源泉を取り除くことができる可能性が少なくなっていく。自滅とはこのことをいう。

こうしたバッシングは、原因を取り除くための方法としても不適切どころか逆効果だし、彼らが望む福祉の充実をも阻んでしまう。私が問題にしたのは、彼らのような言動が大量現象としてなされると、それがどのような帰結に至るかという点であって、彼らの主観的な思いとしては福祉国家にシンパシーを抱いているかどうかには関係がない。

むしろ、あの種の言説を垂れ流すことで共感の核を作っていく行為は、福祉国家にシンパシーを感じながらネオリベを実行しているという点に罪深さと救いのなさがあると言ってもよいほどだ。

しかし、それは彼ら個人が「悪い」というよりも、政府や財界が長年かけて仕組んできた罠にかかったようなものであって、彼ら個人を憎んでもしかたがない。ただ、いずれ理解させる必要はあるだろう。


★メインブログでははっきり書かなかったが、批判対象となったエントリーのうち、教育を事例に出しているところでは、税負担だけでなく税外の負担まで持ち出して「日本は高負担」と言っていた。あれはいくらなんでも、むちゃくちゃな議論だ。国民負担率をダマシと言うことと矛盾する。所得のうち、税と社会保険料の割合が国民負担率の考え方だ。そこそこの生活を維持するための税外の支出がそれに加わる。日本は前者が少ないから後者が多くなっている。これは周知のことだ。

だから、こうした比べ方で、所得に占める税と社会保険料と公的教育費と私的教育費あたりを合算したものの割合を出せば、どういう状態なのか比較できるはずなのだ。そこにわざわざ社会保障給付だけを差し引いた指標を使うからワケがわからなくなる。全然違う指標を組み合わせることになる。


★今回の議論で個人的に反省すべき点は、具体的なデータで戦うという選択肢を取らなかった事だろう。最初からそれでやっていれば、論理的な操作でやりあうよりやりやすかったはず。

ただ、外国の財政に関する数字というのは、軽々に使えないというのがある。財政学をちょっとかじると、知識が少ない人とは逆に、ネットで探してきて都合のいい数字を使うことに躊躇してしまう。共通化されているOECDの統計を使いこなせるようになることは必要かもしれない。

とはいえ、数字でやらなかった理由は、相手の論の論理的破綻があまり明白だったので、そこを突くだけで理解できると考えたからだった。しかし、以前、詳しくない人と議論したときに、論破すればするほど知識ではなく信仰の領域に入っていくのを目にしたが、それに近い形になってしまった。


★エントリーをほぼ書き上げた時点で気づいたのは、メインブログのエントリーがほぼ完全にマックス・ウェーバーの方法論から学んだことから成り立っているということだった。主として「客観性」論文、「シュタムラー」論文、「価値自由」論文あたりで述べられているようなことを縦横に駆使している。

それもエントリーの性質上、当然の帰結だと気づいた。というのは、相手が理解出来なかったことをまとめるということは、とりもなおさず、自分の考えを述べたことのうち、相手が理解出来なかったことなのだから、まさに自分の考えをかなりストレートに述べることになる。社会についての考察の基本は私の場合、そこにあると再確認した。

【以下、追記】

★そういえば、今回の議論では、国債に関する話題にコメントする人が多いようだ。これは彼らが感じている「負担感」の構成要素として、長期債務残高が深く関わっていることを示唆するものと見ることができる。

しかし、昨年の税源移譲の際に、去年の1月から所得税が減り、6月から住民税が重くなったことについて、前者については全くというほどリアクションがなかったことを考えれば、実質上の負担は感じていないということがわかる。負担感のかなりの部分は、債務残高などの情報が「政府が赤字で大変だ」という煽りの宣伝によって形成された(本当の生活実感ではなく)観念的な要素がかなりの部分を占めていることを示している。それだからこそ、行政による搾取が問題だということがまことしやかに語られ、信じられるのだろう。

しかし、他国の政府との比較で日本が突出して酷いといわなければ成り立たない議論である。欧米との比較もそうだが、中国は?インドは?ブラジルは?ロシアは?といったところを見ないといけないだろう。汚職などが非常に多いといわれているところでも、経済発展が急速に進んでおり、生活も格差は広がりながらも改善されているのは明らかだ。

上記のような「生活実感ではない観念的な『負担感』」強迫観念になっているから、ものの見方が極めて近視眼になっているのである。この近視眼は新自由主義と一脈通じていることは言を待たない。

ついでに言うと、もっと覚めた目で、外国人になったつもりで見てみたら?という気もしないでもない。

★議論を始める前の段階でわかっていた(最初から指摘もした)ことだが、次の飛躍も見逃してはいけないだろう。念を押しておく。

①スウェーデンは「国民負担率」は高い。→これは周知の事実である。
②スウェーデンは「国民純負担率」は①ほどは高くない。
③日本は「国民負担率」は低い。→これは周知の事実である。

今回の議論では(今回のものだけではないが)、日本は「国民純負担率」は②よりも高い、ということから、「世界一高負担」のような飛躍がなされていたことも見落とせないだろう。

スウェーデンは国民負担率では世界最高水準の高負担率になっているが、国民純負担率では世界最高水準だとは示されていない。それなのに、「スウェーデン=高負担」というイメージだけは残ってしまい、純負担で比べて日本はスウェーデンより負担率が高いとなると、「世界一高負担」という飛躍をしている。

これは今回よりも前の議論の時から気づいていたことだが、こうした混乱(飛躍)も彼らが「負担」の概念をよく理解せず使っていたことの証左となるものである。
by zarathustra1883 | 2008-02-09 00:50 | 経済・財政
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