ブログ「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。気になるニュースや雑感・着想のメモ等(エントリーへのリンク付きTBかエキサイトブログのみTB可です。)
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昨今の政治情勢について

最近、自民党が分裂する形で新党などが出てきている。

「みんなの党」、鳩山の離党、「たちあがれ日本」などがそうした動きといえるだろうが、自民党自体が利益分配の力を失ってから極右イデオロギー政党のような色彩を強める中で、さらに右寄りの連中がキャスティングボートを握ろうとして飛び出しているように見える。とりわけ、「みんなの党」のネオリベ、反官僚路線は一部ではやはり分かりやすいようで、支持がじわじわ広がっているようにも見える。「たちあがれ日本」などというふざけた名前の政党が出てきたが、これも極右の国家主義的イデオロギーと消費税増税による財政再建という財政右派の混合というところが自民党の一面をさらに純化させた小政党となりそうな気配である。

現在の選挙制度ではこれらの政党が巨大な勢力をすぐに手に入れることはできないだろう。しかし、左側の政党の存在感が高まらない中で、右寄りの極端な主張のメディア露出の頻度が増えることによって、民意が更に右側(ネオリベや国家主義)に引きずられていくという可能性は高まっているのではないか。安倍政権などの馬鹿丸出しの危なさも次第に忘れられてきている中で、これらの政党の存在感が次第に高まってしまう危険性は否定しきれない。

自民党の崩壊は良いことだが、それが右派の分裂が勢力減少に結びつけばよいのだが…。かといって、民主党の単独過半数となっても困るが、代わりに権力を取るべき勢力がなく適切な政策を掲げる政党がない、または勢力が小さい。昨今の政治情勢は袋小路に入りつつあるように思われる。
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by zarathustra1883 | 2010-04-12 00:33 | 今日のひとこと

リベラリズム、民主主義、国家主義

私の思想的な立場をちょっと確認しておく。

中道から左については、リベラリズム、民主主義に対して批判的である。

中道から右については、国家主義に対して批判的である。

個人と世界システムという2つのシステムを基本単位とする。

これらのシステムを反省的には複雑ネットワーク(個人は最小単位のノードである)として捉え、行為論的にはオートポイエーシスとして捉える。この点が通常の右派とも左派ないしリベラルとも大きく違うところである。


以上に少し踏み込む。


リベラリズムについては、個人の自由を尊重する点では同意するが、それが尊重されるべき範囲を決める原理を含んでいない点で不十分であるとする。

民主主義は反省的な理論構成の範囲内では論理矛盾にならざるを得ない点で不十分であり、その理念と現実の制度との必然的な乖離を十分に認識させず隠蔽してしまう傾向がある点でも不適切である。(だから、私は理念や理論としては「民主主義」、制度としては「デモクラシー」と呼ぶ。)以上の理念の矛盾と理念の崇高さは制度には完全に反映できないという2点をもって、民主主義を理想化することに対して批判する。

制度として現実化できない最大の理論上の問題は「強い個人の仮定」である。民主主義の理論では、主体的に政治的な判断を下すことができる市民を前提している。(現実にはそんな人間はごく少数である。)もちろん、こうした古典的な理論とは異なり、情報の不完全性を考慮したり、いろいろな前提の操作も行なわれた理論があるのだが、それでも、特定のタイプの人間を想定することは必須であり、それが現実の人間の行為を的確に捉えていない(「われわれのことをわれわれが決める」という以上、その「われわれ」は共通性を持たなければならない)ために、その理念は現実化しない。

民主主義の理論が「弱い個人」を仮定する場合、その「われわれ」は、もはや民主主義の理論が理想とするようなことを実現できるものではなくなる。現実に近づけるには複数の階層的な「われわれ」を想定しなければならないが、階層的であるところに価値序列が入るとそれは貴族制や寡頭制のような類型に近づくというジレンマがある。いずれにせよ民主主義の理想とは異なるものに理論が変質しなければならない。

国家主義はまったく論外である。分析単位として見る場合にも「国家」なるものは極めて不適切である。政治的決定と法的正当性は、相対的な恒常性をもってある特定の範囲内に及ぶと見てよいが、それは何らかの実体的な存在者ではなく、ある特定の機能の航跡にすぎない。その機能は現実にはそれとは異なるネットワーク構造の中に組み込まれている。それが世界システムである。なお、ウォーラーステインの世界システム論では、インターステイトシステムが資本主義世界経済の上部構造的な位置づけで構想されているが、私はそれとは異なった見方をしている。(分かりやすさのためにメインブログなどではこれを援用することはある。)

実践的に見ても「国家」は個人より優位な位置づけを与えることはありえない。「国家」はなくても個人は生きていけるのだから。ただし、「社会=諸個人の関係」がなければ生きていけないので、個人だけを尊重するわけではない。これはリベラリズム批判でも触れた。但し、この「社会」なるものにア・プリオリに特定の性質を読み込むのは避けるべきである。共産主義や社会主義ではこれは平等な社会が可能だとされるが、私はそうは見ない。常に「少数支配の原理」は働く。したがって、優位な社会層と不利な社会層が存在することは不可避であると考える。しかし、そこに支配関係が存在する場合でもそれが「国家」である必要はない。主権国家が成立する以前の「国家」は主権国家としての「国家」とは大きく異なるものであった。何らかの支配構造を内蔵する社会関係は不可避だが、それは必ずしも現在の普通の人々が思い描くような「国家」である必要はない。
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by zarathustra1883 | 2008-03-21 00:01 | 思想