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ブログ「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。気になるニュースや雑感・着想のメモ等(エントリーへのリンク付きTBかエキサイトブログのみTB可です。)
by zarathustra1883
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小室哲哉の詐欺容疑と新自由主義的マネーゲーム

小室哲哉容疑者:世界進出で挫折…借金も15億円超

 数々のミリオンセラーを世に送り出した希代の音楽プロデューサーが地に落ちた。著作権譲渡をめぐる5億円の詐欺容疑で4日午前、大阪地検に逮捕された小室哲哉容疑者(49)。90年代、Jポップ界に「小室ブーム」を巻き起こし、長者番付にも名を連ねた小室容疑者だが、最近は15億円以上の借金を抱えていたという。転落の原因の一つとなったのは世界進出の挫折だった。【藤田剛、林田七恵】

 4日午前7時50分ごろ、小室容疑者は大阪市淀川区のホテルから、地検の係官が運転するワンボックス車に乗り込んだ。明るい茶色に染めた長髪、ジーンズにパーカーという若々しい身なり。終始無言で、伏し目がちの目にはわずかに涙が光った。約20分後、同市福島区の地検庁舎に到着。大勢の報道陣を前に、体を前かがみにしながら視線を左右に動かし、落ち着かない様子だった。そして逮捕。かつての栄光は完全に消えた。

 98年1月、小室容疑者は「アジアに総合娯楽事業を」との触れ込みで、香港に音楽制作会社「ロジャム・エンターテインメント」を設立した。中国や香港、台湾などのアーティストをプロデュースし、アジアでの市場開拓が狙いだった。

 当時、小室容疑者はJポップ界の頂点をすでに極めていた。TRFや安室奈美恵さん、華原朋美さんらの曲を次々にミリオンヒットさせ、96年の高額納税者番付は芸能界トップの全国4位。推定年収は20億円と言われた。次の目標はアジア、欧米へと向き、ロジャム社がその足がかりとなるはずだった。

 ロジャム社は01年5月、香港の新興市場に上場。小室容疑者は会見で「アジアの国々に質の高い音楽コンテンツを提供していく」と高らかに宣言した。ところが、株価はわずか2週間で売り出し価格の半値を割り込み、その後も下落。02年度決算は約12億円の赤字となり、海外でのCD販売やプロデュースも伸び悩んだ。

 結局、小室容疑者は04年、持ち株をすべて売却し、会長職を辞任。経営からの撤退を余儀なくされた。「小室は香港の事業に数百億円をつぎ込み、ばく大な損失をこうむったらしい」と話す関係者もいる。

 海外に重点を置いてからは、国内の小室人気も陰りを見せる。00年以降は目立ったヒット曲が生まれず、消費者はすでに「小室サウンド」に飽き始めていた。01年には吉本興業と契約したが、大きな実績も残せず、07年に契約を解消した。

 一方、小室容疑者の派手な生活や事業への投資は続き、借金ばかりが増えていった。小室容疑者関連のイベント企画会社「トライバルキックス」が、サッカーJ1「大分トリニータ」のスポンサー料を滞納したり、離婚した前妻への慰謝料の未払いが発覚するなどスキャンダルも続発。最近ではロサンゼルスの豪邸や高級外車などをすべて売却し、年間2億円を超えるヒット曲の印税収入も、大半が債権者に差し押さえられていたという。

   ◇小室プロデューサーが手がけた主な曲◇

■「My Revolution」(86年、渡辺美里)

■「Get Wild」(87年、TM NETWORK)

■「EZ DO DANCE」(93年、trf)

■「恋しさと せつなさと 心強さと」(94年、篠原涼子)

■「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント」(95年、H Jungle With t)

■「DEPARTURES」(96年、globe)

■「I’m proud」(96年、華原朋美)

■「CAN YOU CELEBRATE?」(97年、安室奈美恵)

※敬称略。( )内は、提供年、提供アーティスト

毎日新聞 2008年11月4日 15時00分(最終更新 11月4日 15時14分)

この記事を読む前から感じていたことだが、小室の失敗は、マネーゲームの実態を示しているように思われる。

海外進出時に「株価」が下がったことで損失を出したという部分もそうだろうし、そもそも楽曲の著作権を売買・譲渡するということもまた、「マネーゲーム的な世界」――そこではすべてが流動性に変換される――が音楽業界にも深く浸透していたことを示しているように思われる。



さて、70年代以前はよくわからないが、少なくとも80年代以降、音楽はどんどん商品化が進んでいったと私は見ている。ロック系のバンドやシンガーなどが「自分たちのやりたい音楽」と「売れる音楽」とのハザマで悩むということが80年代後半から90年代前半にはよく見られたと記憶する。(例えば、BOφWYなどが初期の路線からメンバーを減らしながら、よりポップで毒のない歌詞の曲になっていったことなどにもそれは現れていると思う。)

そんな中で、そうした悩みを感じさせない音楽が小室の音楽だった。当時の私には違和感があった。何もかもが「軽い」と感じられた。もっと的確に言えば、軽薄という感じである。実力も大してないような歌手が、深みのない歌詞の歌を、チャカチャカと軽いリズムの(少しワンパターンな)曲に乗せるという音楽を大量生産していた。

完全に「商品」として割り切って大量生産されていた音楽が小室の音楽だったと思う。だから、私はそれらを自分で買ったことはないし、積極的に聞くこともなかったのだと思う。
by zarathustra1883 | 2008-11-05 00:36 | 社会
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