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「日本人」が「ノーベル賞」を受賞することは喜ばしいのか?
少し前、ノーベル物理学賞を3人の「日本人」が受賞したことが「明るいニュース」として報道された。他にも化学賞などもとった人がいたらしい。
私に言わせると、このニュースの何が「明るい」のかサッパリ意味不明である。「日本人」が受賞したことがそんなに嬉しいことなのだろうか? 私にとってノーベル賞というものが喜ばしいものでありうるとすれば、それはこうした賞を受けた学説が一般社会に認知されることによって、社会に何らかの「良い」影響が及ぼされる場合であり、その効果が現れることに他ならない。誰が受賞したかなど、あまり意味はないし、その人の国籍がどこに属するかということなどまったくというほど意味がない。 私が批判している発想には複数の漠然とした観念が交錯しているように思われる。 ひとつは「民族性」なるものが存在していると考え、「日本人が受賞」したことから「日本人は優秀」という誤謬推理をしてしまうような観念、または「国民的アイデンティティ」の信奉者で、このアイデンティティを共有している者を「仲間・身内」と考え、その「仲間が受賞した」というところから「民族性」論者と同じ誤謬推理を行うようなケースである。 もうひとつは、国際政治および各国政府の経済戦略の観点であるが、科学とその実用化とは同じ人が行うとは限らないことなどから考えても、今回の物理学賞の成果がこうしたものに結びつくとは言えない点で誤っている。 強いて言えば、NHKのニュースでコメントしていた人(科学者仲間?)が、基礎研究には時間がかかるものであるということを一般の人々らにも理解してもらえるきっかけになればいい、という主旨の意見があったと記憶するが、これは「業界団体としての科学者集団」の党派的な意見を若干含みながらも、政治(行政)によって学術研究がバックアップされる際のあり方に対しては、傾聴すべきものを含んでいるように思えた。 さらに言ってしまえば、「ノーベル賞」というもの自体に功罪と言うべきものがあるとする意見もあり、「ノーベル賞受賞=よいこと」とは必ずしも言えない面もあるのだが、それを書く余裕はない。
by zarathustra1883
| 2008-10-10 23:42
| 今日のひとこと
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