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ユスティニアヌス帝による地中海世界の再統一の頃
これは6世紀のことだが、西ローマ帝国の滅亡が476年であることを考えると、比較的容易に当時の情勢を想像することができる。
西ローマ帝国は豊かな東の地域から切り離されたことによって弱体化に拍車がかかって自滅的に弱体化したものと考えられるが、そうした経済的にも政治的にも弱体化した地域だったからこそ、「蛮族」とされるゲルマンの集団が容易に進入できたと思われる。東ローマ帝国はレヴァントやエジプトを押さえていたから、それなりの勢力は維持していたはずで、当時まだ諸勢力が割拠しているような状態では、西ローマ帝国の領域を平定することはそれほど困難ではなかったと思われる。 しかし、北方の貧しい領土を手に入れることはコストパフォーマンスが悪いのでむしろ攻め込む必要性は低かったのではなかろうか。囲い込まれたというか地中海から遠ざけられたゲルマンの諸集団にしてみれば、逆にそちらに出る必要性があり、その利害の一致によって凝集性を高めることができたため、比較的短期間で東ローマによる地中海世界の統一を崩すこともできた。東ローマによる西地中海世界の統治は、地中海沿岸を点や線のように支配していたように見えるから、北方から攻められた場合の防衛力は高くなかったのではないか。 私の場合、6~9世紀あたりは少し知識に空白が多い。このあたりの状況について、世界システム論を援用して仮説を書いてみたが、本でも読んで少し勉強してみようと思う今日この頃である。といっても、現在は中国を研究対象地域に設定しているので、なかなか他の地域には手が回らないのだが。
by zarathustra1883
| 2008-07-28 02:09
| 歴史・歴史学
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