ブログ「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。気になるニュースや雑感・着想のメモ等(エントリーへのリンク付きTBかエキサイトブログのみTB可です。)
by zarathustra1883
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橋下知事は地方自治を勉強していないのでは?

産経新聞より。

「橋下節」修正連発 府庁批判影潜める 初の定例会見
2008年02月14日10時21分

 大阪府の橋下徹知事が13日、就任以来、初めての定例記者会見に臨んだ。激烈な府庁批判はすっかり影を潜め、自らの教育論を「机上の空論だった」と後退させ、発言のぶれについても「独裁者じゃない」と語るなど、これまでの発言の軌道修正ぶりが目立つ。知事就任から1週間が過ぎ、強気の「橋下節」にも変化が見えてきた。

■教育論、机上の空論

 「現場を見ずに頭で考えていた。自分の教育論は『机上の空論』だったと反省している」

 会見の冒頭、橋下知事が反省の弁を述べた。この日、初めて公立学校を視察、その「成果」を強調したのだ。

 選挙中から「高校の学区撤廃」「学力別クラス編成」を提唱し、学力上位層の競争力を強化する教育改革に意欲を示してきた。9日には府の独自施策である公立小学校1、2年生の35人学級制について「効果に疑問がある」として府教委に見直しの検討を指示した。

 13日に視察した柱本小では、子どもの理解の度合いに応じてクラスを半数ずつ2カ所の教室に分け、少人数で指導する様子を見守った。橋下知事は「40人、50人でも授業は可能と思っていた。現場を見て、少人数で手取り足取り教えることも必要だとわかった」。

 その後の会見では、「ただちに持論が変わったわけではない」と語りつつ、「あまりの世間知らずに恥ずかしさを感じました」と反省。府教委などと議論を重ねていく考えを示した。方針変更の可能性についても「独裁者じゃありませんし。結論が妥当ならそういう政策になる」と話した。

■府債ゼロ、必要な号令

 当選後、「原則認めない」と表明している府債も実態は発行する方向だ。橋下知事は会見で「原則は発行ゼロ」と譲らなかったが、08年度当初予算案で約160億円を計上することが明らかになっている。先月30日には、後年度に地方交付税で補われる府債について「僕の知識不足でした」と容認している。

 ただ、どこまで本気で府債発行ゼロを目指しているかは不透明だ。会見でも「必要なものだけ府債は認めますなんて言ったら、職員からどんどん必要性の議論が出てきて、1週間で暫定予算なんて組めるわけがない」と説明。「原則ゼロという号令は組織マネジメントとして必要。収入の範囲で予算を組むという目標達成のための指揮のやり方」と解説した。

■発言に波紋「計算ずく」

 「計算していなければ、単なる馬鹿でしょう」。会見で橋下知事が語気を強めたのは、議論を巻き起こすことを計算したうえで発言しているのかと問われた時だった。自らの発言で「おおいに世間で議論してもらいたい」というのが橋下知事の立場のようだ。

 だが、威勢のいい「橋下節」はトーンダウンしたものも多い。1月の公開討論会で「僕が立候補した最大の理由」と言い切った情報公開の徹底は、府側との予算折衝や議会との意見交換を冒頭部分しか公開せず、「初めからの公開では改革は進まない」と後退した。

 赤字隠しが発覚した際は「職員性悪説」と府庁をやり玉に挙げたが、この日の会見では職員をねぎらい、暫定予算を編成した財政課への賛辞を繰り返した。

 橋下知事が初当選した際、戦々恐々だった府幹部は胸をなで下ろす。「表で無理なことをぶち上げても、裏では落とし所を考えてくれている。仕えやすい上司や」


教育論が「机上の空論」だったと反省しているが、地方債発行ゼロというのも同様に「机上の空論」である。やらなければいけないことを削るか、地方税法が認める最大限の権限を活用して増税をするかしない限り、今の制度ではそれを達成できないだろう。

というか、そもそも知事に立候補した人間が、交付税措置も知らないということ自体が信じがたい事態である。

橋下は地方自治について全く勉強したことがないのではないか?

地方自治について少しでも学べば、必ず地方財政制度については学ぶはずだし、地方財政に議論が及ぶ場合、中央政府との政府間関係について知らずに地方自治は語れない。現実の問題について取り組む場合には、一番問題になるのが交付税と補助金である。また、別の面から言えば、90年代以降進められてきた「地方分権改革」について見ても、90年代にはここにはあまり手がつけられなかったために、00年代になってからは重要課題とされ続けてきた分野である。だから、地方分権についての議論を少しでもかじった人間も交付税については知っているはずなのである。

いろいろな面からみて、重要なものとされてきた地方交付税の現状についての初歩的な知識がないということは、地方自治を全くというほど勉強していないということである。

大阪府の幹部職員からすれば、御しやすい知事だと言えそうである。橋下知事は公務員から教えてもらわなければ行政や大阪府についての基本的な知識や情報を十分には得られない。それ以外のルートから得る場合でも量と質において職員に劣ることになる。その意味で部下である公務員とは、なかなか強い対立関係には入れないだろう。

もし、対立が強まれば実質的な権力が強いほうが勝つ。初歩的な知識にも欠けているような不勉強な知事では公務員と対決を続けることはできないだろう。(官僚の権力の源泉の一つは、その専門知識にあるとされる。)世論が味方につくとしても、それとこれとは別の話だ。高度に込み入った専門的な議論で専門家と戦わなければならない場合、無知な大衆の応援にはそれほど意味がない。一見、「改革」を押し通したように見えても、実質的なことはできない(骨抜きにされる)だろう。(小泉が権力の維持に成功したのは、官僚と深く対立しなかったからだということも示唆的である。逆に、安倍はそうでなかったといわれる。)

まぁ、差し当たり、1年目はほとんどまともな「成果」は上げられないだろう。そして、一通りのことを経験した2年目以降になってから、対立が激化する可能性がある。大阪の人には悪いが、ネオリベとネオコンの政策の実験室と位置づけて、今後、大阪府を気長に観察させてもらうことにしよう。

話を戻すが、橋下は地方自治について全く勉強していない。この事実はかなり重要だと思われる。


【追記】 交付税措置について一言

地方交付税措置などというものは、一般の人にはそれほど知られていないかもしれない。(私も財政学や地方自治論を勉強するまで知らなかった。)しかし、実際は地方自治と日本の財政全体に対して、破壊的な影響をもたらす財政の運用方法である。

交付税措置というのは、要するに、各自治体の交付税を算定する際に、中央政府の意向のとおりのことをすれば、その分の費用は交付税に上乗せしてあげます、ということ。何が問題なのかと言えば、これによって自治体は中央政府の言いなりに誘導されるということ。これによって地方自治という建前は壊れ、中央集権的な霞ヶ関の支配が地方にまで行き渡る。地方交付税が一般財源であるという原則も踏みにじられ、隠れ補助金として使われている。

岩国市や沖縄などで、補助金を出さなかったりする形で、中央政府の横暴な政策に対して、リベラルな人たちを中心に批判が出ていたが、見えにくい形では90年代からこうした札束による強制は持続的に行なわれてきたのである。

また、一国レベルの財政においても、この仕組みは極めて問題がある。なぜならば、中央政府の意図を地方政府に実現させ、その費用も地方交付税によって行なわれることによって、地方で行なわれる政策に対して中央政府の責任逃れ(特に財政責任の回避)が発生するからである。実際にそれは発生している。あたかもサブプライム問題で銀行が間にブローカーを挟むことによって最終的な借り手に対して責任を持たなくなったのと同じように、中央政府が地方政府に政策を行なわせることによって中央政府の責任が回避されているのである。その最たる例が夕張市である。現在、どこの自治体も財政難に苦しんでいるが、それはこうした形で中央政府の政策を実現したためなのである。(中央政府の財政赤字は、政府と与党自身の失政によるものである。債務の多くは「公共事業の増発」――これは90年代には仕方がない側面があった(もっと効果的なやり方はあったが)――と「社会保障政策における無策」によるものであり、「必要な増税までも避けてきたこと」が拍車をかけているのである。)

言い換えれば、90年代に「後で交付税措置をするからこの事業をやってくれ」と言われて自治体は公共事業をせっせと行なったわけだが、その後、小泉が首相になってから特に交付税の総額を激減させた。確かに交付税措置の分は払っているが、それよりもよりプライマリーな部分を削っているのである。その結果、必然的に田舎の自治体は立ち行かない状態になっている。(東京は不況下では財政難が酷かったが、グローバル企業が立地するところでは法人住民税や法人事業税の増収によって財政が立ち直った。はっきり言って、この回復は自助努力のおかげというよりは、「風頼み」によるものである。)

少し前に行なわれた市町村合併やしばしば新聞に顔だけ見せる道州制も、こうした議論と連動したものである。その主たる目的は、中央政府の財政責任の回避であり、それによって自治体の財政を追い込むことによって社会保障を縮小することである。
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by zarathustra1883 | 2008-02-14 22:54 | 政治ニュース
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