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ブログ「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。気になるニュースや雑感・着想のメモ等(エントリーへのリンク付きTBかエキサイトブログのみTB可です。)
by zarathustra1883
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日本に春節がない(?)理由

先日、台湾の友人からメールで「日本のような伝統文化を重んじる国で、しかも、その文化の一部は中国から来たものなのに、どうして春節をお祝いしないのか?」という主旨の疑問が述べられていた。

これは日本の側からは思いつかない疑問だと思われたので、面白かった。一応、これに自分なりに答えてみようと思うのだが、その際の資料をここに記録しておくことにする。(一気に中国語に変換するのは大変だから、日本語である程度内容を整理してから訳してみようという目算である。)

ウィキペディアの「旧暦」の項目がまず参考になる。

日本の旧暦は天保暦である。ただし後述するとおり、現在旧暦として使われている暦は改暦前の天保暦とわずかに異なる。

天保暦は明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使われていた。その翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められ、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦された。改暦は明治5年11月9日(1872年12月9日)に布告し、翌月に実施された。この年の急な実施は明治維新後、明治政府が月給制度にした官吏の給与を(旧暦のままでは明治6年は閏6月があるので)年13回支払うのを防ぐためだったといわれる[1]。今なお占いや伝統行事などでは需要があり、旧暦もしくは陰暦の俗称で用いられている。


基本的にはこの時点で暦が変更され、「正月」は旧暦の正月(春節)から新暦の正月に変わったものと思われる。「正月」の休暇やお祝い(?)自体はなくなったわけではないから、新正月だけ祝えば十分だし、逆に、1月程度の間に2回も大型連休を作るのもあまり合理的とはいえないように思う。

中国との比較でこのように早期に暦を「西洋式」に切り替えることができたのは、「日本の支配層に先見の明があったから」ではなく中国を中心とする文化圏の中では日本は半周辺的ないし周辺的な位置におかれていたからであろう。

アメリカの「黒船」に象徴されるように、欧米の強力な軍事力を目の当たりにしていたことも当然、要因の一つだが(ペリーの来航は1853年(嘉永6)である)、それは他の東アジア諸国も似たような条件だったと言えるとすれば、日本政府が西洋化への道をとりやすくなった独自の条件としては、上記のような地政学的な位置づけがあったと見ることができよう。

なお、これと効果は逆方向だが類似の現象が冷戦後の経済の停滞についても言える。つまり、日本はブレトン・ウッズ体制と冷戦構造から恩恵を受けられる位置にあったがために、その時代のモードから脱け出しにくい状況が続いている、という側面があることである。

ついでに調べてみたのだが、クリスマスの普及はグレゴリオ暦を採用してからやや遅れているようだ。以下、またウィキペディアの「クリスマス」の項より引用。


日本で初めてのクリスマスは、1552年(天文21年)に周防国山口(現在の山口県山口市)において宣教師コメス・デ・トルレスたちが日本人信徒を招いてのミサであった。しかし、その後江戸時代に幕府がキリスト教を徹底的に弾圧したことから、明治のはじめまでまったく受け入れられることはなかった。

日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、そのころからクリスマス商戦が始まったことが大きな契機であった。大正時代になると、児童向け雑誌や少女雑誌の十二月号には、表紙をはじめとしてクリスマスにまつわる話や挿絵がたくさん導入された。1925年(大正14年)に日本で初めてクリスマスシール(結核撲滅の寄付切手)が発行される。

大正天皇が崩御した12月25日が、1926年(昭和元年)~1947年(昭和22年)までの期間に新たな祝日「大正天皇祭」とされ、この新たな状況もクリスマス普及に大きな役割を果たしたとされる。

1928年(昭和3年)の朝日新聞には「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるまでに普及していた[8]。

昭和初期の頃、銀座、渋谷道玄坂から浅草にいたるまでの多くのカフェや喫茶店においてはクリスマス料理の献立を用意し、その店員はクリスマスの仮装をして客を迎えた。この様子を1931年(昭和6年)12月12日の都新聞は、「七千四百余のカフェと二千五百余の喫茶店に華やかにクリスマスが訪れサンタ爺さん大多忙を来たす」と報じた。


これを見る限り、日本におけるクリスマスはバレンタインデーなどと同じように商業的な目的によって(商業用のイベントとして)普及し、現代に至るまでそれは変わっていないようである。

そして、この路線は、多少なりとも「欧米への憧れ」が日本の人々の間に広まっていたことと相乗効果があったのではないかと推測される。「憧れ→憧れを利用した商品→さらなる憧れ」といったマタイ効果が僅かではあれ蓄積されていったのではないだろうか。

いずれにせよ、欧米のようにクリスマスが祝日でないことが、商業的な目的によって盛り上げられたイベントであることを端的に物語っているように思われる。
by zarathustra1883 | 2009-02-01 00:31 | 日記
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